新聞購読の徒然に・・・感染者数の推移を見ながら、
もうかれこれ20年ほど前になるが、テツandトモという芸人が「なんでだろ~」と舞台狭しと歌い動き回る芸が流行った。些細なことへの疑問を投げかけ、個人的な解釈を答えのように語り、聞く側に「その通り」と思わせたり「自分もそうだ」と納得させたりと、答えは決して一つではなく、自分の思考に近いものが答えになっているといった芸である。時にクスッと笑えたり、その通りと頷いたりの連発になることが多かった。
「なんでだろう」の仮説に対する答えは、決して一つだけが準備されているわけではない。ものの見方によって、内容解釈が異なる。ただ、状況に応じた判断ができるように、いくつもの考えが出てくるのが仮説提示である。特に、マーケティング論で語るべき未来については、誰一人として確定的な答えを持っているわけではない。ある状況に対応した個別の考えが仮説として提示されるのである。まさに仮説は、継続する思考の「節目」のような役割を持ち、竹が成長するように、未来への道しるべになるものである。
してみると、この2年ほどの間で、生活スタイルや働き方にまで影響を及ぼしてきた(影響し続けている)新型コロナウィルス。ここへきて、東京都でいえば予想を超えた劇的な新規感染者数の減少傾向がみられる。一時期一日5,000人を超えていた状況から、今や一桁の日もある。「なんでだろ~」。
それに対する具体的な仮説を聴くことなく今になっている。専門家の諸先生は折に触れて語っておられるのかもしれないが、政府を含め、公の立場からの発信が乏しい。
仮説として捉えれば、例えば、①5,000人越えの情報に接し、一人ひとりの感染予防意識が高まった。②ワクチンの接種が早まり、職域での接種はじめとして、年齢層を超えて対応した。③ビジネスの場における会食や飲酒機会が減り、外部での密接な人との距離が少なくなった。④街に出る人が減少し、ワークスタイルも在宅が増え、他人との接触機会が減った。⑤そもそも、ウィルスが弱毒化してきた。・・・等々。思いつくままに挙げても複数挙げることができる。どこに焦点を当ててみるのかは、また専門家の眼力が必要であろう。
現象に対する仮説なきままに、次のステージが来ることを煽るように言っていたのでは、成長への節目のない竹のように、もろく弱い社会状況になってしまうのではないかという仮説を立ててしまう。