ビジネス徒然草-13

プロジェクト作業の徒然に・・・「なる」ことより「あり続けること」が大事。

組織に帰属している場合、明解な役割をもって仕事を続けている人も、ある年齢に達すればその時点で定年ということになる。かつては55歳という頃もあった。今多くは、60ないし65歳が定年の時限であろうか。一部には70歳までこれを延ばそうかという議論も起きている。
時間をもって他者(この場合は会社だが)に指定されてしまうのもいかがかとも思うが、一方で私のような立場で言えば、逆にその方が人生の節目を作りやすいのかとも思ってしまう。というのも、30代前半で会社を設立して以来、40年という年が巡り歳重ねて今は70代。ビジネスの表舞台に立つのは、やはり40~50代であってほしい。私は今を邪魔せぬようにしながら下支えができるような立場でいたいと思い、終わりをどう決めるのかに迷ってしまう。
そもそも、私が会社をつくろうと思ったのは小学4年生の頃。年齢ではちょうど10歳であった。「将来の夢」という題で作文を書く授業があった。その折に、「将来自分は会社をつくって社長になる。本社は日本橋に建てる」と、「会社」や「仕事」といったことを知らぬままに書き綴ったのが原点である。
20代の頃も、具体的に何をやるかが見えたわけではない。しかし、30代になった前半に、まずは会社をつくろう、そのベースは自らが学んできたマーケティングにしよう、ということだけを決めて、会社を設立した。思えばなんとも無謀である。
あとはただ目の前のプロジェクトで最善の対応をし、質の高さを評価して貰えるようにしようという「意気に感じる」人との出会いを大切にして「縁」を育んできただけのように思う。一歩一歩の積み重ねが今である。
今思っても、社長に「なる」ことは案外たやすいことだ。自分で会社をつくってしまえば「社長」にはなれる。しかし、その会社を常に時代に適応した存在として「あり続ける」ことは、そうそうたやすくできることではないように感じる。
これはまた、何事にも通じることのようにも思える。例えば、リーダーになることよりも、リーダーであり続ける方が大変である。何かをやり遂げようと思えば、単に「想い」の深さだけではなく、心と体に自らが言い聞かせる「念」のような繰り返しの言い聞かせが不可欠のように思っている。

「想い」は思い続けること。そうあり続けることを「念じる」深い想いが大切。

         

投稿者:

maps-staff

一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

PAGE TOP