自分をつくってくれた5人を思って・・・。
ビジネスマナーを自ら示し、縁をつくってくれた人。
私が、組織を離れてオフィスを構え独立型のビジネスを始めたころ、今とは明らかに社会に漂う空気が異なる経済環境にあった。企業行動は活動的で、社内にはオープンマインドで語り合う風土が、どのような分野でも普通に見られた。今ほどの遮閉された雰囲気はなく、大らかな風土が多くの企業に見て取れた時代であった。
そんな中で私はマーケティング・スタッフビジネスの可能性を模索して悶々たる時を刻んでいた。どうすれば継続的な案件を担当し、安定的なオフィス運営に繋がるかが大きな課題であった。ちょうどそのような折に、多くの産業界が自らの存在意義を社会に問う、いわゆるCI(Corporate Identity)が取り上げられた。縁あって大手広告会社(売上1兆円を超す巨大企業)との縁ができた。実は、私が組織から離れて独立する最後の上司が、この大手広告代理店に長く籍を置き、故郷広島に戻られた大田久雄氏であった。
広告会社にマーケティングの風を吹き込み、多くの若きスタッフにマーケティング・マインドを植え付けていった方である。私自身、その頃からの噂は聞き及んでおり、いつかはマーケティング・ビジネスの実践者として、お会いしてお話を聞きたいと思っていた方である。何とも奇縁、その方がお戻りになった広島の会社に、私自身がマーケティング・スタッフとして勤務することになった。
個人的には既に、独立をしようと思ってはいたのだが、組織内スタッフの総仕上げの想いもあって大田氏の部下として機会を得ることを選択していた。そして多くを学ばせて頂き、独立前の知見を深めることが出来た。そのビジネススタイルはと言えば何よりも、その話材の豊富さがある。老若男女どの世代に対しても相応の応対をされる、上下左右の幅の深さと広さには、30歳そこそこの若造である私は脱帽であった。
他人の話にはじっくりと時間をかけてでも、相互に納得するまで耳を傾ける。話す力は聞く力、を教えて頂いた。
他人をけなすことのない人であった、どのような小さなことでも褒める。「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ」を地で行く人であった。
先ずはやらせる。常に論理的な説明をして下さる方だったが、現場は解説より実践と、実行優先で指揮をとられる人であった。
そして、話の端々から、その背景までも抑えている「教養」を感じさせる人だった。
私は、そのような人が、組織人として最後の上司であったことを、今改めてしみじみと幸せであったと感謝している。小柄な方ではあったが、未来を見据えて歩み行く姿は大きかった。目指す未来を語りつつ、50代の若さで早逝されてしまった。
今存命であれば90代。90代の大田さんから、ビジネス・センスの話を聞きたかった。
清野 裕司
株式会社マップス