旬刊独白ー26

食べ物への「感動」は、出会いの大切さを教えてくれます。

人それぞれに、思い出の中の食べ物があるのではないでしょうか。家庭内での食事の思い出もあります。私にとっては、母がつくってくれた「巻き寿司」「ばら寿司」「いなり寿司」の味が、郷愁の世界へと誘ってくれます。それ以上に外食での思い出が、今も鮮明に浮かんでくることがあります。
5歳の頃、親の転勤で上京した折、初めて旅館で「卵焼き」を食べたこと。鶏卵自体が高級な食材で、めったに食卓に乗るような時代ではなかったからでしょう。その甘さと共に、味わい深い風味が体中を駆け巡っていった感動が残っています。今も出張時の朝食に「卵焼き」を食べている自分がいます。同じく卵にかかわるものですが「オムライス」があります。浅草に現在もあるセキネという食堂で、食べさせて貰ったもの。ふんわりした焼卵で、程よく炒められたチキンライスが包まれている。しかもその上にケチャップが彩りを添えている。味わいと共に、はじめて見る美しさは、7歳の自分にとって衝撃でした。「カツ丼」の甘辛いしょうゆ味に出会ったのは、その後しばらくたった時。「牡蠣フライ」は、小学4年生のとき。「天津麺」は、小学6年生。そして、中学生の時に初めてカウンターの前に座って寿司を食する機会を得ました。
でも最近は、ついぞ感動の食に出会うことがなくなってしまいました。自分自身の食体験が深まったからでしょうか。いや、それ以上に、余りにも準備され尽くした食が、日常の食卓に出回ってしまっているからではないかと思います。人の感性を高める教育の一つに「食育」があると言われます。今の小学生たちは、20年後、30年後にどのような「感動」を食にもって、語っているのだろうかと思います。

    清野 裕司
式会社マップス

投稿者:

maps-staff

一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

PAGE TOP