価値への対価は「渡す」もので「ほうる」ものではありません。
お金は「渡す」ものであり、「ほうる(抛る)」ものだとは思いませんでした。
最近のファストフードでよく体験することです。〇〇バリューのセットを頼む。
バリューというからには価値あるものが登場するはず。胸躍らせながら待つことしばし。余り重みのないトレイに、紙にうやうやしく包まれたハンバーガーと熱々のポテト(時折冷めているのにあたることもある)、そして好みのドリンクが乗っている。
「なるほど、これがバリューか」と納得顔で支払いの準備をします。あいにくと小銭の持ち合わせがない。バリュー(価値)あるものを頼んだのだからと理屈をこねて、おもむろに1万円札を渡す。「1万円入りま~す。」と元気な声。つり銭の準備です。「では、大きい方から・・・1千、2千・・・」先にお札が渡される。さてこれからだ。「細かな方、○○円」と言うが早いか、コインが私の手のひらにほうり込まれます。 その行為は、決して金銭の授受をしているといったものではありません。小石をほう り投げている行為です。これでバリューか。底が浅いものだと、これまた納得して
しまいます。
お金をほうり投げるのは、私は正月の初詣やその他の機会に、神社仏閣での賽銭の時にしか体験しません。投げ銭は銭形平次の専売特許。金銭は、やり取りされて初めて、その価値を感じるものです。
バリューを売り物にするのなら、対価をほうるのは避けた方が価値(バリュー)がある、と私は思うのですが。
株式会社マップス
清野裕司