自分をつくってくれた5人を思って・・・。
学ぶことの「楽しさ」を知って社会人になったことは何よりの感謝。
人がこの世に誕生して以来、今ほど「自分がわからないことを知るために探索する」ことがたやすく出来るようになったことはない、とよく言われる。つまり、ほぼ一人ひとりが、使用できるかどうかは別問題として、解らぬものを探索するツールを持って生活している。電話番号にしても、固定電話が中心の昭和の時代には、少なくとも自宅の電話番号はもちろんのこと、知人・友人の自宅の番号は案外暗記をしていたものだ。しかし今や、スマホの住所録に頼りきっている。知らない単語や文字が出てくると、すぐに指が動き始める若者に多く出逢う機会がある。
時代が違うと言われれば然りではあるが、人としての生き方や学問に対する姿勢は基本的には大きく変わらないのではないかと思う。論語に「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」という言葉がある。「教わるばかりで、自分で考えることが少ないと力はつかない。自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない」と解釈される。まさに、そのことを地で行くような先生に大学時代に出会い、そして先生のゼミで多数の学友を得たことが私の人生の何物にも代えがたい財産である。
慶應義塾大学商学部の村田昭治研究会。マーケティングのゼミである。82歳で異界へと旅立たれた、故村田昭治慶応義塾大学名誉教授の下で学びの時を刻むことが出来た。ゼミ同期は実に47名。3・4年生が在籍するので、2学年でほぼ100名である。先生の口癖は「多数精鋭主義」であった。そのお蔭もあって、今なお続く同期会では、元気に暮らす者たちがほぼ9割ほどいるので、コロナウィルス蔓延前まで毎年2回実行していた同期会には、20名ほどが集まって、互いの近況を語り合っていた。その会も、世情落ち着けば再開の予定である。
多くのキャラクターの出逢いから、多くのことを知り得た。そしてゼミの時間中はもちろん、アフターゼミの集まりでの会話は、学びの宝庫でもあった。先生のお話もまた宝玉そのものであった。内容はもちろん、人を引き付ける話し方や動作。今もその姿が時に浮かんでくることがある。
「What?」の質問に対しては「自分で調べろ」と言われ、「Why」の質問には必ず「自説と関連の研究者等の発言」をもって語って下さった。知の広がりには、その足元にも及ばぬ自分の浅学さを思い、更に学ばねばといった気を高めて下さった。
「受けた恩は、終生かけて返せ。ただ、返しきらぬだろうから、恩は送るものだ」とも言われた。今、私は心の奥で村田昭治先生に対する深き恩を感じている。筆舌尽くせぬものがある。それをご本人に返せぬのだから、次世代に向けてマーケティングの奥深さを伝えていきたいと思っている。村田先生、有難うございました。
清野 裕司
株式会社マップス