「先日と同じ」は「何がどう同じなのか」と叱られてから半世紀。
学生時代にマーケティングを学び、卒業後に医薬品メーカーのマーケティング室に配属された私は、多くのセミナーに参画する機会を頂戴していた。忘れ得ぬセミナーは、当時、渋谷にあった(財)日本生産性本部上層階で開催された「マーケティング基礎」に関するものである。
当時、マーケティング界をリードしていた、慶應義塾大学の村田昭治教授(私の恩師)、早稲田大学の宇野雄教授、一橋大学の田内幸一教授といったそうそうたる研究者の諸先生。さらに加えてライオンや雪印乳業などのメーカーでマーケティングを担当されている方々の日常的活動といったことがテーマアップされていた。
立場的に村田先生のお話はよくお聞きしていたがために、今までお聞きした内容とほぼ同類のものと解釈していた。終了翌日にゼミで修士の先輩にお会いした折に「村田先生のお話はどうだった?」と問われ、私は即座に「今までと同じでした」と答えてしまった。温厚な先輩の横顔が曇っていく。そして即座に「清野!どこがどのように同じだったんだ」「村田先生は、内容は同じように聞こえても、その話し方や事例の紹介の仕方は違っているはずだぞ」とかなり強い口調で指摘を受けた。
さてここで自分の対応が問われる。「確かにその通りです。お話の端々に、その日の参加者の属する業界に近い話も取り混ぜ、軽やかなジョークも組み込みながら、あっという間に時が過ぎていったようだ」。そのような小さな違いにすら気づくことに至らず、ただ同じような話だったで済まそうとしていた自分。そこには、真摯に学び行こうとする「志」が鮮明に示されていなかったのだと改めて恥じ入ってしまった。
以来半世紀の時が流れ行った。私は、いまもその時の自分の行為に赤面してしまう。先生のお話に登場してくるビジネスの事例は、改めて検証してみる価値が十分にあるものであることを知る。学びの素は自分の脳に新たな刺激を提供するものだ。あの時叱ってくれなければ、自分はただ時の流れに流されていたように感じる。だからであろう、今私は「もし私の話が他で聞いたものと同じであったならば、今回の講師は、どのように説明するかを聞いておいてほしい」と言っている。
修士生だった先輩は、その後さらに海外留学をされ、戻って慶應義塾大学経営管理研究科の教授を務められ、多くの人材を育まれた嶋口充輝名誉教授である。
半世紀の時を超えて、今も心にしみる学びの教えであったと感謝している。
Management Partner Staff
清野裕司