オフィスMAPS40年の軌跡は奇跡の時に思える。①:渋谷篇
私がマーケティング・スタッフを生涯の職業と決め、そのさまざまな作業を実施する会社をつくろうと実動を始めたのが33歳。自宅オフィスやマンションを借りて、そこを作業場として捉えるのではなく、あくまでもオフィスを構えて株式会社として活動したいと思っていた。当初は、先輩が始めていたソフト開発会社の一隅にデスクのみを置かせてもらい、そこからが組織を離れての第一歩であった。
その後2年の時を経て、渋谷の一隅に45㎡ほどのオフィスを借りたのが35歳の時である。物理的なことは実現できるが、問題は、果たして仕事は作れるのか。しかしそこは何とか考えるもの。研究会のまとめや統計資料作成や、事業計画・広告企画・各種委員会委員の発言録作成・商品別売上の変化や広告費の変化・・・、といった資料の整理作業が仕事であった。
データや関連資料が多岐に渡ればわたるほど資料の枚数は増え、作業時間も増える。自宅に戻ることよりも、オフィスで朝日を見ることの方が多くなっていた。作業の効率化を思えば、どうしても人手が必要になる。大学で、マーケティングを学ぶ学生やビジネスに興味のある学生諸君に加わってもらい、アルバイトという立ち位置ではなく「学生スタッフ」という立場で大いに活動をしてもらった。
当時の学生が今や50代のビジネスパーソンもいる。親子2代にわたっての学生スタッフという者もいた。歴史は繰り返すものだ。複数のメンバーと共に、渋谷のオフィスで朝を迎えたことが、今も深い思い出になっていると、つい先日聞いたばかりである。
創業時の株式会社マップスは、そんな慌ただしい、不夜城のような環境の中で、「次はどうする、何をする・・・」を考えていた。子供の小学校入学の日にも、オフィスで朝を迎えたことが、今となれば虚しさを感じるほどの慌ただしい時が刻まれていた。
Management Partner Staff
清野 裕司