旬刊独白-35

「いらっしゃいませ」に心がないと単なる雑音になってしまいます。

店に一歩入る。「いらっしゃいませ」の元気な声。買わなくてもいいものを、つい余分に買ってしまったり、食べなくてもいいものを、ついつい頼んでしまったり、の経験を持っている人もいるのではないでしょうか。売り手と買い手の、お互いの気を高める起爆の言葉、掛け声として「いらっしゃいませ」があります。

ところが最近、誰も店に入ってきた様子がないのに、この声が聞かれることがあります。商品を並べていたり、在庫スペースから持ち出しながら勢い込んで、しかも繰り返し「いらっしゃいませ」の声。また、語尾を上げた言い方もあります。客の顔を見るなり「いらっしゃいませ~」と語尾が延びて、しかも上がる。本心からの挨拶に聞こえません。「いらっしゃいませ」は人が訪ねて来たときの挨拶語です。自分を励ますための掛け声ではありません。私がリサイクルブックのチェーン店で書籍を検索していた時のこと。滞在時間は約30分強、同時間帯の店内客は10名強。その間、それ程の客の出入りはありません。しかし、その間に聞いた「いらっしゃいませ、こんにちは」は何度というより、何百回だったでしょうか。
当方は静かに書籍を検索しているのに、そこにノイズが入り込んでくる。「いらっしゃいませ」はもてなし言葉の最初と理解している私にとっては、腹立たしい時間でした。何のための言葉なのか。店の売り手には勢いがつくのかも知れません。しかし、買い手である客側は買う気の勢いがそがれることも、心無い言葉にはあることを忘れてはなりません。

             Management Partner Staff
                               清野裕司

 

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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