旬刊独白-37

今「否日常」を感じることがあります。

時代の風が何となく暗く感じます。戦争での殺戮・破壊の映像。得体の知れないウィルスの加速度的蔓延。未成年者の残虐な行為。・・・・こう続くと、明るさを示す単語を忘れてしまうような気がします。

人の顔を見て「不景気な顔するな・・・」「不機嫌そうな顔して・・・」と言うことがありますが、今の社会にそのまま当てはまりそうな言葉です。「不」「壊」「害」をもつ言葉は、本来そうではない状況を否定している、尋常ではないことを言います。

人は当たり前と感じる時間の繰り返しに日常性を感じ、その平坦に流れる時を意図的にずらす体験場を、非日常空間として「遊園地」や「劇場」「スポーツ場」「映画館」といった形で創出してきました。今も、時に都会生活の喧騒を離れて、森や山を歩くと、日常の時の流れとは異なる時計を持っているような感覚を覚えるものです。でも
それは一時的な日常生活からの乖離であって、「非日常」での体験です。

しかし、ここ最近の出来事は、日常生活の中での尋常ではない状況を伝えています。あたかも、日常なにげなく流れ行く時を否定しているようにさえ感じてしまいます。現代社会の時計が狂っているのでしょうか。通常は起こり得ないと考えていたことが、普通の暮らしの中で起きている。今までの暮らしを否定する「否日常」をすら感じることがあります。

歴史は創造と破壊の繰り返しの中にありますが、現状を「否定」する前に、先ず現状「肯定」の眼差しを持って、そこにおける問題を探りだすことの方が重要な気がします。                                                   

Management Partner Staff
清野 裕司

 

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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