社会的な行動に必要なことは、ルールよりマナーです。
毎朝のこと、電車を待つホームで決まったアナウンスを聞きます。「間もなく電車が参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい」と。日常の何気ない音の景色の一つです。余りにも当たり前になると、注意喚起力も衰えてしまうのか、アナウンスがあろうがお構い無しの数人に出会います。ほんのひと時のちょっとした心がけが、他の多くの群集に共通の時間を提供してくれるにもかかわらず、さも無視することを善しとした行動が見えてきます。
堅苦しく、言われたことをその通りに守れ、と言っているのではありません。一人一人の心がけが、全体の善の状況に繋がることを意識することが、現代社会の基本ではないでしょうか。同じ立場にあるものとして、相手の気持ちを思い知る「相身互い」という言葉。人は他の人と人の間に入ってはじめて成立する「人間」という言葉。どうやら、朝のひと時などは、人を思いやるといった、人間らしい振る舞いを忘れる瞬間なのでしょうか。
現代の生活空間には、さまざまなルールがあります。そのルールはお互いが守り合うことを前提に成立しています。自分さえ良ければ、何もルールに従う必要など無いといった考えでは、社会生活そのものが成り立たなくなってしまいます。車の運転中に、気に入らないので、この先の赤信号は無視して行こうと言ってしまったのでは、安心して街中を歩くことすら出来なくなってしまいます。自由と勝手のはき違いです。
全体主義的な考えではなく、一人一人の思いやりが、集団の調和をつくることを忘れてはならないと思います。善きことを守る。それは社会的な基準を生み出す第一歩。集団における、緩やかなルールが、いつの間にか社会的な当たり前となり、人の振る舞いを規定するマナーになるのですから。
Management Partner Staff
清野裕司