旬刊独白-41

長期的に考える「ゆとり」が次代を描き、創る。

「そんなことは絶対にない・・・」と強く言い張っていた社長が、その社の社員からの指摘で、渋々「実は・・・、自分が・・・、つい・・・。」と聞き取れぬほどのか細い声で記者会見場で下を向く姿。「一年後には手元のお金が倍になる」と言っていた人が、実は虚妄な行為をしていたに過ぎなかったとか。もう見たくないと思っていたものが、今も横行している。海の向こうの大統領が流行語のように発していた「Fake:でっち上げ,捏造,ごまかし」。
日々の暮らしの中に登場してくるのは、何をもって「真」と言えるものなのか。混乱が起きてしまう。

加えて生活必需品の多くが、値上げラッシュ。今起きている現象は、少なくとも3年以上前の経済政策の失政が原因とよく言われる。今更言っても止む無しだが、暮らしを防衛しようとする、身を縮めたスタイルが蔓延してしまうのだろうか。決して闊達な消費行動は期待できそうにない。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に登場する昭和30年代をリアルに体験した者としては、当時の質素倹約とは次元が違うように感じる。

当時は、次に来る世界への予感は明るいものであった。いつか自分にも、多くのものを手に入れた生活が来るはず。そのための今がある、と今日を励ます力が社会に溢れていた。半世紀以上の時は流れたが、今の耐乏感には、明日を描けない力のなさを感じざるを得ない。

そうした時代環境のなせることなのだろうか、今の社会には「ゆとり」を感じさせない。眼前にあることに、直ぐに答を求めようとしてしまう風潮がある。ゆっくりと考え、じっくりと育てて、といった感覚が乏しい。

暮らしの中では、全てきちっとした答えが出るとは限らない。「まあまあ」とか「ぼちぼち」という、日本の伝統的な文化が薄くなってしまったように思える。今、わが国には長期にわたって思考する力すら無くなってしまったのだろうか。答えは、一人ひとりの意識と思考と行動にあると思うのだが。

 

Management Partner Staff
        清野裕司

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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