旬刊独白-44

「無愛想」なやりとりが多い国になってしまった。

週末には、よく書店を回ることがある。一週間の仕事を終えて、次週に向けての心積もりをした後は、少し気を緩やかにして、オフィス近くの古書街を回ったり、帰路に少し手前の駅で降り、駅近くのリサイクルブックの店に立ち寄る。最近、その類の店の多くは、書物だけではなくCDやDVDの扱い幅も増え、老若男女入り乱れた店内になっている。

店で働く人たちは元気一杯。客がいようがいまいが、大きな声で「いらっしゃいませ」の大合唱。時には耳に響き過ぎて、うるさいと感じることもあるほど。その店は、立ち読みは自由。立ち読み読者に大きな声は、ノイズになると思うのだが、一切構わずに大声の連呼。自分自身の作業にリズムを取っているだけに聞こえてくる。決して、来店客に愛想を振りまいているわけではない。彼らの顔に、微塵の笑顔も見えないからである。

そこそこ店内を見回して、数冊の本を持ってレジへ。「メンバーカードはお持ちですか・・・?」のお定まりの質問が来る。「はい」と答えて、本と共にカウンターに置く。精算が始まる。機械的なレジの音だけが響く。一切の会話が排除されている。
合計金額の案内に沿って代金を払う。「ありがとうございました」の声よりも早く、他の店員から「いらっしゃいませ」の声。そこには入店した人は誰もいないのに。

私の次に並んだ男性が、無造作に本をカウンターに置く。置くと言うより放り投げる。レジ担当者からは同じ質問。客は答えようともしない。眉間にしわを寄せて、早く計算をしろといった風情。会話も笑顔もない。かといって、気まずい空気でもない。何の会話もないことが当然と言った雰囲気で、支払うべき金を、これまた放り投げます。愛嬌を感じない空間になる。

旧来より、不愛想をBUSUという。いつからこの国はBUSUだらけの愛想のない国になってしまったのだろうか。「OMOTENASHI」とか言ったプレゼンテーションを聴いたことがあったが、果たして日常にはあるのか。
マーケティングを教えて下さった私の恩師、故村田昭治先生から「BUSUになるなよ!」
と言われたことを、今も強く思い出す。

週末のリサイクルブックストアでの一コマ。いつからだろうか。笑顔も会話も愛嬌もない、店も客も「無愛想な関係」が常態化したような社会になったのは。

Management Partner Staff
清野裕司

 

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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