旬刊独白-45

暮らしに根付いた「三つの教え」は、忘れてはいけないと思っている。

人の暮らしのさまざまな場面で交わされる言葉に、「ありがとう」がある。さらに、その昔の日本の家庭では、「もったいない」「ばちがあたる」も慣用句であった。他者が何がしかの支援を自分に施してくれる。本来、人は自分自身の暮らしを自分の力で切り拓くことが求められている。そこに、誰からかわからないが自分を助けてくれる。めったにないこと。だからこそ「あることがない=有り難し」。まさに仏の教えに似ている。

「もったいない」は「勿体・物体」がなくなる。つまりは価値がなくなってしまうことを言う。有り余ることの無駄。利用できるものを、そのまま捨ててしまうことの無駄。丁寧に使用すれば、まだまだ価値あるものとして存在して十分に機能を発揮するのに、幼い頃、モノをぞんざいに扱うことをひどく叱られたものだ。倹約を旨として聖人になるを告げた孔子の教えにも思える。

「ばちがあたる」は「罰が当たる」で、悪い行いに対する戒めでもある。
善悪を知るために、人が人を懲らしめるのではなく、お天道様や先祖からのお仕置きがあると教えてきた。まさに、神の教えのようなもの。

この3つの言葉に、ついぞ出会わなくなってしまった。人とのちょっとした会話の中に響く言葉ではなくなってしまったようだ。現代生活にあっては「死語」になってしまったのだろうか。仕事の場面でも、家庭でも、自らのために他者が何かをしてくれる。まさに「ありがたい」こと。何でも新しいものに飛びついてしまう。それだけ資源を無駄遣いしていることにもつながり、せっかくのものの価値がなくなるのですから、まさに「もったいない」こと。そして、社会における善悪を知ることなく歳を重ね、無謀な行動が横行する。「ばちがあたる」のは当然。

今、わが国には、暮らしに根付いた教えがないのだろうか。浮ついた根無し草のようにもおもえてしまう。かく言う自分は、今日もこの3つの言葉を、どこかでつぶやいているのだが。

Management Partner Staff
清野裕司

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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