旬刊独白-50

リアリティはつくられたものではなく、今起きている事実。

日常の生活行動の中で、テレビを通じた情報収集の時間の割合が徐々に減ってきている。インターネットを通じたものや、雑誌等の文字情報に接することの方が多くなってきたように思える。その日のニュースは見るのだが、ドラマなどは、その時々で話題になっているものを見流す程度。こちらから積極的に見ようと動機付けられるような番組がないことが大きな理由である。と言うよりも、余りにもつまらないからである。

過去に作られたものを、さも今のように伝える嘘くささ。結論を待つ瞬間に場面が転換し、再開時に繰り返し戻って同じ場面を見る空しさ。ちょっとでも注目されると、さながら消耗品のように登場してくるタレントを見る退屈さ。世間で流行っている言葉をそのままドラマのタイトルにする軽薄さ。どこから見ても、視聴するに値する番組が余りにも少ない。特にリアリティの欠落は致命的である。

虚構の世界は、かつては映画がその役割を担っていたのだが、TVが同類になってしまったように感じる。時代の今を伝えるべきものが、今ではない時につくられたモノを承知で、視聴者も今の気分で見ている。どこまでが本来の時間なのかを忘れてしまう。正月に流れた番組でも、年が変わっているにもかかわらず出演者が「来年」と口走ってしまう。視聴者側も、今流れている番組が、今つくられているものではないことを承知している。

草創期のTVドラマは、その時に演じている事実を提供していた。そこには、何ともいえぬ緊張感があったものである。うまく演じられなかった瞬間がある。裏方の動きが見えている場合もある。それだけに真剣。見る側も失敗を許さないのではなく、容認しながら見ていた。動きを無理に止めて、場面転換することもない。それだけに、次の展開が楽しみになる。

懐古趣味に陥って昔を懐かしがるわけではない。入念に事前チェックがなされたモノにこそ、時代性を感じるもの。リアルな動きや会話。マーケティングに求められるのも、今をリアルに考える思考であることを忘れてはならないと思っている。

 

投稿者:

maps-staff

一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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