マーケティングの思考力や実行力は、顧客が育てるものです。
飲食店の中に、いつ行っても人だかりの絶えない店もあれば、いつ覗いてもひとりとして客の姿を見ることのない店がある。当然、前者の店には何気ない活力が感じられ、後者は薄暗い印象を与えてしまい、次回近隣に来た折には、もうなくなっているかもしれないと思わせてしまうもの。
それ故なおさら、外からの景色を見ても足を踏み入れようとする気が起きてこない。顧客と店との間に、循環する息遣いが感じられない。空気が揺れている感じがしないので、まさに無音状態である。例えその店ならではのオリジナルなものがあったとしても、顧客評価を得るのは難しいのではないかと思ってしまう。
それに比べて客の賑わいを見る店は、その店を飾る壁面の絵や小道具、働く人のごく普通の振る舞いまでが、他の店とは違った印象を与えるのだから不思議である。さしたる料理でもないのに、さながら料理の載った皿が何かを語りかけてくるようにすら感じさせる。空気自体に揺らぎがあり活気を感じさせる。
店サイドが意図して生み出していることもあろうが、それ以上にこれは、一方的な店サイドの操作によるものではなく、その店にいる顧客が生み出しているようである。
企業の提供する商品やサービスも同様のことが言える。例え、つくる側が納得して「これこそが最高のもの」と思っても、購入者・使用者側がその良さを評価しなかったならば、単なる企業サイドの独り善がりに過ぎなくなってしまう。その逆に不安半分で上梓したものが、多くの顧客に支持され成長していくこともあるもの。営業担当者の人間的な成長過程にも、同じことが見られる。一生懸命に自分のことを売り込もうとする動き。商品説明に汗を流す姿。そのスタイルに共感をもってくれた顧客が、ある時は厳しく、ある時はやさしく導いてくれる。顧客との関係を励みに、営業担当者も自らを磨こうとする。芸人の世界も同様で、見る人、聞く人がその芸人の芸に磨きをかけるのであって、TVでよく聞こえてくる面白くもないところでの笑い声では、芸人はその芸を磨くチャンスを逃してしまうことになる。
マーケティングの実践にあっては、「生み出された商品やサービスは顧客が育てるもの」との謙虚な姿勢が求められている。
Management Partner Staff
清野 裕司