旬刊独白-55

マーケティング思考に「なれあい」は禁物。

自分が真剣に話をしている折に、意味もなく笑う輩がいる。話の内容にもよるのだが、仕事の内容や企画案件の肝になることを集中して話している時は、相手の姿勢によっては、話をしている側の気が萎えてしまう。その後の話をする気がなくなってしまう。話し手と聞き手の双方が長く知り合っている者同士の場合に、よく体験する場である。まさに「慣れ合う」状況と表現できよう。新しい気付きや発見の乏しい「なあなあ」のやり取りが横行する時である。

ただ、長い付き合いになっていたとしても、儀礼を超えた豊かな会話もある。朝の散歩の折に、ほぼ毎日出会う人。自分の連れた小犬に話しかけるように、にこやかな顔つきの方に出逢う。こちらも、何となく穏やかな顔つきになって、近づけばお互いに元気な声で「おはようございます」の挨拶。時に季候のあいさつが加わることもある。朝のひと時に、なごやかな空気が漂う、まさに「馴れ合い」のやり取りである。

しかし同じ馴れ合いでも、気分を悪くするものもある。「なれあい勝負」の八百長問題。広辞苑によれば「八百長」とは「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合わせで、常に1勝1敗になるようにあしらったことに起こるという」とある。結果がわかっていることに対しては、当然その時々の驚きも感動もない、嫌な「なれあい」である。

国会の答弁を聞いていても、時に「なれあい」を感じることがある。本質をなかなか突くことが出来ず、先日聞いたやり取りと同じ様子を繰り返しニュースで見せられたのでは、真剣さが伝わってこない。

では、マーケティングの世界での「なれあい」は何であろうか。

「従来品と同じような内容でありながら、さも最新の製品であるかのように伝えるメッセージ」。
「自分の頭で考え抜いたとはとても思えない、良く見慣れた企画書」。
「定期的なミーティングで、長幼を超えた会話をするスタッフ」。その「なれあい」は親しみ過ぎて礼を欠く「狎れ(なれ)あい」である。

マーケティングを展開するのであれば、何事にもなれることなく、日々の鮮度を心したいと思っている。

Management Partner Staff
                     清野裕司

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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