ビジネス徒然草-35

「講師」としての振る舞いは個人的な「芸」にも感じる。

複数の方々の講演が続いている、あるテーマについての研究会や情報発信の会で、時折、自分に与えられて持ち時間をオーバーして話しされる方がいる。2~3分ほどの延長であれば、ただその本人のちょっとしたタイムキーピングのミスとも考えられる。しかし、そうではないケースに出会うことがある。明らかに確信犯である。当初予定を、10分、15分と延長している。次に控える講演者の顔にも苛立ちの気が漂う。受講している方々も、何となく落ち着きがなくなってくる。

ほぼ20分ほど予定をオーバーして話し終え、おもむろに一言「これ以上聞きたい方は、『私の著書』をお読み下さい」と。自分の次の演者を簡潔に紹介して終わる。次の方が演台の前に立つまでの休憩時間は、当然短縮される。外部との連絡時間が取れなくなってしまう。今は減ったであろうが、喫煙者には辛い、休憩時間の短縮である。

そのような機会に同席をする際に私が思うことは「今日の講演者は素人だな」ということ。
プロを標榜するのであれば、その話の内容よりも、細やかな振る舞いに目が行ってしまう。聞いている側も、限られた時間のなかで、難しい理論の解説を聴こうとは思っていないであろうし、一つ二つ、日常の会話の中で自分でも使いやすい言葉やキーフレーズが大きなお土産になるのではないだろうか。

セミナーや講演会のテーマも、時々で注目されるものは異なる。流行物のようなものである。「ポストコロナの社会を読む」「ITを生かした経営」「DXの活かし方。その事例」「2025年の東京を夢想する」・・・といったようなことが、2022年の中心的なテーマであろうか。
そもそも私は、講演や研修会の講師の立場は、落語家や芸人の演じることと同質だと思っている。落語の聞き手からすれば、一つ一つの話の大まかなストーリーは、たとえ知っていたとしても、すべてを知っているわけではない。同じ話を違う落語家から聞くと、全く違う話を聞いているような錯覚に陥ることがある。

今までに自分自身が講義や講演を通して、講師を担当する際に強く意識していることを10のポイントに整理をしている。以前も掲出したことはあるのだが、改めて「ビジネス徒然草」で取り上げてみた。

講師十訓

Management Partner Staff
清野 裕司

 

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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