ビジネス対応は、一人ひとりの「意・志・気」により変化する。
何かを成し遂げようとした時、人は不安に駆られることがある。今のままで良いのか、他にもっと良いやり方があるのではないか。確認する術を持たず、今までに自分が知り得たことを基本に、もう一度筋道立てて、自分のやろうとしていることを説明しようとする。
そこに働く力としては、ある時は累積された個人的な知識がものを言うこともある。しかし一方で、知識だけでは解決できないことがある。知識を活かすのは、本人の「意」であり「志」、そして「気」である。
「意」の一言
蓄積してきた知識だけでは、今起きている現象を説明することが出来ず、あの時に、もっと学んでおけば良かったと反省することもある。後の祭りである。そのような時に大いに発揮されるのが、本人の意識である。過去は問題ではない。今起きている現実にどのように対処しようとするのかの、自分自身の意欲や対応の姿勢を問われているのだと、はっと気づく。すると、それまでに思いもつかなかった方法が浮かんでくることがある。誰かに習った方法ではない。自分自身が編み出した道筋である。
理屈だけでは解決できないことが多く登場してくるのが、ビジネスの現場である。このような施策を展開すれば、顧客は間違いなく動いてくれるはずだと思うのだが、その通りの結果が生まれてこない。予期せぬことだらけである。そのような時には、過去に学んだことの、何とも脆弱なことかを思い知らされる。
単なる表層的な「知っている事実」よりも、心底思い込んだ「まだ見ぬ未来」を実現しようとする意識が、どれ程の力になるかを知るときである。マーケティングが、「学」として存在するのではなく「論」として存在するのも、そこに意味がある。体系的な枠組みを知ることだけが学問ではない。自分自身が実行する「未来への道案内」である。「意のあるところ道は拓ける」そして、「知はその道を飾る」と解釈したい。
「志」の一考
ビジネスでは、一人ひとりそれぞれの心の中にあるものに大いに期待したい。未来に向けて描いているであろう自分自身の姿である。いつも、自らの心が、どちらの方向を向いているのかを確認したい。
心が指す。まさに「こころざし=志」である。何となく茫洋とした意志かもしれない。若者の間では「自分探し」という言葉も聞く。自分が何に向いているのか分からないので、固有の職を持つことなく、自分の可能性を探すと言う。しかし、考えをいくら巡らせたところで、自分自身の実体が浮かんでくるとは思えない。先ずはやってみることではないのか。
好きなことを一生続けられると幸せ、との言も聞く。しかし、志は決して好きなことばかりを迎え入れてはくれない。嫌なこともある。意に沿わないこともある。ただ、嫌だと思ったことも、次なる自分を生み出す術と心得た時に、嫌なことではなくなる。自分の心と会話をしたかどうかが問われる。
「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな」と昔から言われる。心が指し示す方向を持った自分との出会い。心してその時を大切にしたい。
「気」の一文
ビジネス環境では、気遣いも多いことだろう。気疲れから、気温には関係なく風邪をひくケースもある。ただ、ビジネスは人と人との関係によって成り立つ。それだけに気配りも必要である。どのような人に対しても、自らの気概を見せながら気後れせずに立ち向かって欲しい。余り気負うと運気が落ち気味の時には気落ちしてしまうことになる。
気兼ねをしなければならない場もある。気軽に話し掛けてくれる人もいるだろう。気障(きざ)な人もいる。ただ、ものは考えよう。気持ちをしっかりさせていれば、気合が入るもの。たまには気晴らしに気の会う仲間との酒席も良い。和気あいあいとした中で気勢をあげることだろう。そのときの空気を読み込みながら、気宇壮大な未来を描いて欲しい。酒気を帯びていても気品ある態度は、気分を盛り上げるものだ。
「気」は人の精神が外に出る様子をいう。景気の良い話が聞こえてこないビジネス環境ではあるが、元気な振る舞いは、気骨を感じさせるものだ。根気よく意気を感じさせる日々を送りたい。若気の至りと言えぬ歳を重ねた今、改めて「気」を高めて気づきの一文。
Management Partner Staff
清野 裕司