初めて会ったにもかかわらず、言葉遣いが馴れ馴れしい人がいる。ビジネスの関係もそうだが、デパートをはじめとして幾つかの店でそのような体験をすることが多くなったように感じる。店に入って、品定めをしている最中からもう友だち。「これなんか良くない?」と語尾の上がった節回し。「ちょ~似合ってるよ」と若者から励ましの言葉。途端に購買意欲が減退してしまう。
ビジネスの関係もしかり。出逢った最初は、おもむろに名刺の交換があり、何と gbなく、お互いが丁寧語でプロジェクトの進捗などをやり取りする。しかし2度目のミーティングがいけない。既にして友だち。「あ~、こないだはど~も。あの件、出来てる?!おーっ、さ~すが~」。何がさすがなのか、当方は当たり前の自分のペースで仕事をしたに過ぎない。特別に驚いてもらう必要も無い、ごく普通のことだ。しかし、30代前半と思しき男性にとってみると、時間通りに出来上がることは凄いことらしい。何とも言えぬ認識のギャップである。
最近は、親しくなることの履き違え状況によく出逢う。親しさと馴れ馴れしさの履き違えである。親しい関係とは、相手の様子や心情までも深くかかわりを持って知ることにより生まれる距離のことである。これ以上のことを言っては、相手が傷つく、あるいは自分自身が誤解される、といった一定の距離の中での想いが錯綜するもの。だからこそ、ビジネス上の関係が長く続くことにもなる。ずけずけと、容赦なく人の感情の中に土足で入ってこられたのではたまったものではない。親しさを超えた馴れ馴れしさであり、親しき中にも礼儀ありを知らぬ者といえよう。
馴れ馴れしい言葉遣いや態度を示すことが、相手との近接関係になると考える者もいるようである。しかし、そこには感情のやり取りは見受けられず、一方通行である。自らの価値観を押し付けようとする意図すら見え隠れする。相手を知ろうとする意識が薄いのは明らかである。
マーケティングの原点は、顧客の理解に始まる。顧客との距離は、馴れ馴れしく語りかけることではなく、先ずは自らの顧客の存在を知り、相手の立場に立って語りかけることにあるのだが。本質をわきまえなければ、間抜けのそしりは免れないものである。
Management Partnar Staff
清野裕司
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