旬刊独白:「相身互い(あいみたがい)」という言葉を聞かなくなってしまった。

失われた〇〇年とも言われ、今世紀に入ってからの日本の社会は、何となく疲労感漂う顔付きや、未来を見ることのない眼を持った若者に出逢ったり・・・・。自分の気持ちを素直に出すことが出来なかったり、その想いを文字にすることが出来ない人が増えたりと、どうも現在、「考える力」が軟弱になった社会に住んでいるような気がしてしまう。

だからだろうか。相手のことや相手の立場を知ろうとせず、自分中心に世の中が回っているとでも思っているような人に出会う機会が増えてきた。街を歩いていると、都会では止む無く人とぶつかったり、大きなバックの角が当たったりすることは日常茶飯事。しかし、その瞬間の会話がない。ぶつけた方もぶつけられた方も無言。ただ、お互いに不愉快そうな顔をして行き過ぎるだけ。一言の「失礼」「ごめんなさい」を言う暇もないほど、先を急ぐ日々なのだろうか。決してそうは思えないときが多いのだが。

この国の文化は、お互いに痛みを分かち合う社会ではなかったのか。

「相身互い」という言葉がある。互いが互いの立場に立って考え、事にあたれば相互の理解が進むとの考えがあったはず。だが、いつの頃からか、そのような精神文化はどこかに行ってしまったようである。相手を思いやることがない社会では、当然相手の心の痛みや悩みは知るよしもないであろう。人を傷つけても、自らの心が痛まないのかもしれない。

マーケティングの根源は、顧客の立場を知ることに始まる。相手の立場に立って、その思考(志向)を読み解くことが何よりも必要である。まさに、自らも受け手に立って「相身互い」の思考回路を持たなければ、顧客に近づく施策など生まれないと思うのだが。

Management Partnar Staff
清野裕司

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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