「今時の・・・」が持つ意味は何を表わしているのか。
農業技術の進化や国際的物流ネットワークの整備があるからであろう、最近のスーパー店頭では本来持っていた季節感とは異なる果物が多く並んでいる。ブドウといえば「秋」であったと思うのだが、4月には味わうことが出来る。イチゴといえば「春」を告げるものと心得ていたが、今は真「冬」の時から店頭に並び、Xmasは勿論のこと、正月の食卓にすら並んでいる。5月にはスイカ。スイカといえば「夏」の風物詩。幼い頃は、外で遊びまわって帰ると、流し水に浸ったスイカを切り分け、頬張ったものである。
「季節の果物」という言葉自体が、既に時代を言い表していないのかもしれない。季節感と言うよりも、今店頭に並んでいるものが「今時の果物」であって、四季折々の感性などは問わないのであろうか。とは言いつつも、自分自身が味わったものは、その折の心象風景と共に浮かび上がってくるもの。「5月の西瓜」はそれなりの味が保証されているのだろうか。少しは気になる。そこで、商品を並べている店の責任者と思しき人に聞いてみる。「このスイカ、甘いですか・・・?」と。売り手からは、「そうだね、まぁ、今時のスイカだから・・・」とのコメント。
そのこたえをどう解釈するかは、客サイドの私の判断に任せられる。ただ私には、「スイカは夏。今は決して夏じゃないのだから、季節を実感することは保証できないけれど。」と聞こえる。「今時の」の解釈は実に多岐にわたるもの。とすれば、「今時の若者」や「今時の会社」といった言葉には、どのような意味が隠されているのであろうか。「以前に比べれば・・・」だろうか「本来は・・・」だろうか。
過去にこだわることを善しとはしないものの、季節を感じる暮らしはしたいと思っている。とすれば、自然の営みを通じて知る「今時の・・・」は何をもって知ればよいのかと、ふと思う店頭に並ぶ果物たち。
合わせて、転職礼賛的なCMを見て、今時の「会社」「人材」とは何かと、社会に問いたくなってしまう。
Management Partnar Staff
清野裕司