旬刊独白71

「郷に入れば・・・」の想いが「道徳心」の始まりなのか。

私は日常、ほとんど私鉄を使って移動している。週末といっても、各駅での乗降の混雑は普段とさして変わることがない。しかも最近は、目的の駅で降りようとしても、ドアの側から決して離れることなく、頑として動こうとしない御仁に出会う頻度も高くなり、なかなか人の合間を縫って器用にステップを踏んでいかないと、所定の時間内に乗り降りが完了しないことすらある。

土曜日の日中は、ウィークデイよりは若干処しやすいかと思っていても、今度は若い学生や子供づれの登場で、やはりなかなか思うようにはいかないもの。

最近の土曜日に出会った私鉄駅での出来事。

いつものように電車が駅に滑り込む。幾つかの地下鉄が交差する主要駅である。降りる人も数多い。ドア近くに立っていた私も、一旦降りてから再度乗った方が邪魔ではなさそうだ。降りようとした時に青い眼の少年と眼が合った。小学校高学年か中学生くらいに見えた。降りてくる人の間から乗り込もうと身構えている様子。その時、少し遠くからの厳しい声“Stop!”。彼の母親であろう。「ドアの横に立って道を開ける」ように指示している。少年は素直に通り道を空けて側面に立った。私は彼の眼を見て微笑みかけた。

再度乗り込んで、私が降りる駅。ここもかなりの混みよう。さあ着いた、の思いでドアの方に進む。今度は日本人の少年が脱兎のごとく乗り込んでくる。まだ、多くの人が降りる途中である。少し遠くから厳しい声が聞こえる。「早く!早く!」。どうやらその子どもの母親らしい。「早く乗り込んで席を確保する」ように指示している。

日本人の道徳心とは何なのだろうか。「郷に入れば郷に従え」=“When in Rome,do as the Romans do.”

さあ、われわれは日本の日常的な道徳心を、どう伝えれば良いのだろうか。「道徳」という授業時間を新設しても、頭での理解に終始してしまうのではないか。まずは「道徳」とは何か、ということを話し合ってみるのが良いように思えるのだが。

Management Partnar Staff
清野裕司

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。

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