絵解きマーケティング:第7講&おわりに
ローンチのファイル容量制限があり、10分割になってしまいました。
今回が最後になります。
Management Partner Staff 清野裕司
ビジネスライフの先達として、日々の心がけや姿勢を語る。
ローンチのファイル容量制限があり、10分割になってしまいました。
今回が最後になります。
Management Partner Staff 清野裕司
ローンチのファイル容量制限があり、10分割になっております。
今回は、私が講義や講演で話をする内容をまとめたものです。
Management Partner Staff 清野裕司
ローンチのファイル容量制限があり、10分割になっております。
今回でローンチファイルの後半になります。
Management Partner Staff 清野裕司
ローンチのファイル容量制限があり、10分割になっております。
Management Partner Staff 清野裕司
私の著作は、今迄それぞれ約200頁ほどのもの。今回も同じようなボリュームです。
目次と共に、第2講です。絵解きマーケティング:目次
Management Partner Staff 清野裕司
私自身がマーケティング概念に出会って半世紀以上、55年という時が刻まれました。多様なビジネス体験をすることもできました。
自分自身の経験値も加わってはいますが、書籍の原稿がまとまりました。
当初は一般書籍としての出版を思いましたが、今の社会環境も考え、かつ逸早くお目通しも頂きたく、私のホームペイジに上梓しました。
PDFの容量が大きすぎるとのこと。
10回に分割しております。まずは一講。
お時間のございます折にダウンロードいただき、お目通し賜れば幸いです。
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清野裕司
年末を飾る一大イベントと言われてきた、NHK「紅白歌合戦」。
昭和の時代には、少なくとも50%以上の視聴率がはじき出され、「お化け番組」の異名さえついていた。
しかし、今や視聴率は30%台。それでも大きな数値ではある。視聴率が50%を切るようになったのは、どうやら今世紀に入ってからである。パーソナルメディアの進化や情報受信スタイルの変質など、様々な要素が注目されている。
さあ、半世紀の推移を見てみよう。自分なりの問題意識が揺さぶれれば良いのだが。
※PDFでもご覧いただけます。 紅白歌合戦視聴率推移
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清野裕司
「百均」の隆盛。「百貨」の衰退。生活環境や行動の変化実感の時。
2023年1月31日、渋谷の東急百貨店本店が55年の歴史に幕を閉じた。多くの人が昔を懐かしんで来店していた営業最終日のよく見かける風景であった。私も、高校生の頃より生活行動のアクセス拠点が渋谷であったので、駅ビルとしてあった東急東横店には何度か立ち寄ったものである。今回閉店の本店は、言ってみれば渋谷の街の突き当りになるようなところに立地しており、品揃えも比較的ハイクラスのものが多かったように思う。したがって、若者よりも中高年の方々が、ゆったりとした時間の中で買い物を楽しむ空間の印象が強かった。
渋谷には他に西武百貨店がある。元来が西武百貨店といえば池袋を拠点としており、その地で東武百貨店と鉄道系同士の激しい戦いが続いていた。西武が渋谷に。まさに「西部(西武)戦線異状あり」と、昔の本のタイトルを模してはやし立てられていたものである。思えば東急も鉄道系ではある。
東京に限らず、地方の百貨店でも閉店の案内を耳にするようになった。北海道帯広の「藤丸」、山形県で頑張ってきた「大沼」といった、その地における名店が閉鎖せざるを得ない環境に置かれている。昭和30年代には、「百華店」といわれるほど、憧れの存在であり、地域の文化発信の中心拠点でもあった百貨店が今、大きく変換せざるを得ない岐路に立っている。銀座にあった松坂屋も、今は「銀座シックス」として、過去の百貨店とは異なる業容を示している。
一方で、100円均一の商品が並ぶ「百均」のリーダー的存在でもある「ダイソー」が創業「50周年」を祝い活発な店舗展開を続けている。かつては、メインの買い物をサブとして支え、また時にものめずらしさの発見拠点でもあった「百均」が、ここにきて日常の生活用品が軒並み値上がりするなかでは、その存在感をますます増し、買い物行動の中核的存在にまでなってきている様子もうかがえる。
何とも皮肉な巡り合わせである。「百貨」に憧れていた時代。なかなか手にすることもないような高位なものを眺めながら、いつの日か自分もあのようなものを手にしたいと思わせた「百貨店」。そんなものよりも、合理的に効率よく暮らす道具を求めていた方がよいと感じさせる「百均」。
両者のバランスがとれていることが、健全な消費環境だと思うのだが、どうも最近は、そうとも言い切れないようだ。この国の豊かさとは何かと問うている。そのように感じる流通の変革である。
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清野 裕司
昭和から平成・令和を経て早や30年以上の時が流れている。最近はよく、昭和の時代では当たり前であったことを取り上げ、不思議そうにコメントをするTV番組に出会うことがある。かつては「十年一昔」という表現もあったが、今や「五年一昔」かもしれない。してみれば昭和は大昔ということになってしまう。
今世間で当たり前と思われていることを、逆に昭和の感性から眺めてみれば、不思議と思うこともある。昭和に生まれ、ビジネスのスタートも昭和である私の目から見た今の不思議を綴ってみよう。
1.貴方の情報源はスマホが全てですか。
通勤電車で新聞(紙)を広げて読んでいるビジネスパーソンに出会うことが殆どなくなってきた。確かに新聞を広げられるとその空間は一人だけのものになり、周りの空間は狭くなる。一人ひとりがスマホで情報収集といった方が、空間的にも効率は良いであろうが、その分、情報検索の幅は狭くなってしまうのではないかと、余計なことを心配してしまう。
2.個人の意見をあまり言わないようですが。
会議の場で、参加メンバーに意見を求める。あまり闊達な返事が返ってこない。たまたま、そのメンバーの中の誰かが、どこかの本かインターネットで、誰かが言っていた意見を発信する。すると、その同調者や反論者が登場してくる。しかしそれは、ある意見に対する論評であって、自らの意思を表明したものではない。
3.自分のものは揃え、他人のものまでは気が回りませんか。
情報の共有をすることに対して、一人ひとりが独自のデバイスを活用しているようだ。であるがゆえに、他のメンバーが何に興味を持っているのかということには興味を示さない。狭い自分の空間の中だけで思考しているように感じてしまう。
4.群れていると安心するんですか。
大晦日から年始へのカウントダウン、サッカーワールドカップの集団的ブラボーの声/10月末のハロウィンでの集団・・・、どれもが映し出されているのは渋谷のスクランブル交差点。集まって騒いでいると安心するのかな。
5.表現の短縮に慣れすぎていませんか。
コスパやしゅうかつ、歴女や鉄女などなど、数えればきりがないが、なんでも短縮が当たり前のようだ。「差別性」という言葉も、もともとは「差別的競争優位性」である。短くすれば話は確かにしやすくなるのだが、本質からは外れてしまっているような印象がある。
思いつくままのものなので、もっと日常生活面からみれば不思議と思うことはたくさんあるのではないか。あまり深刻にならず、また折を見て注目すべきことを拾いあがてみよう。
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清野 裕司
多くのビジネス第一線で活躍するスタッフと会話をして、各人の問題意識を聞くにつけ、ビジネススタッフはどうあらねばならないかが見えてくる。幾つか気付いたことを整理してみた。
1.スタッフとは、自らがどのように見られているかをいつも気にするアクターである。
多くの初対面の方々は、そのスタッフが発進する情報の斬新さや深みを見聞きして、その知識,見識を測っている。単に発信される言葉だけではなく、仕草も勿論見られ、そこに漂うスタッフの教養が見透かされている。ある時は「育ち」「家庭環境」「世間的動きへの感応度」などまでが見破られていると知らなければならない。それだけ緊張感を要するのがスタッフの立場である。
2.スタッフは、過去の累積をベースに未来を描く仮説設計力をもつ。
蓄積された多くの資料、人的ネットワークのリスト、書籍があっても、それらは、過去の活動事実の累々とした積み重ねである。過去をいくら振り返っても、そこに未来が突然のように現出するわけではない。過去の流れの思考回路を、未来を描く基準点にすることこそが、スタッフに求められている視点である。データベースは整理することに意味があるのではない。次代へのフレームワークであり、その器に今後何を入れていくのかを考えることである。
3.スタッフは、「作業」の請負人ではない。「仕事」のコーチ役である。
決められたことを実施する作業ほど楽なことはない。時間が解決するからである。しかし「作業」はあくまでも作業であり、その対価の基準は時価であり人力価に過ぎない。スタッフの対価は本来、知価で測られるものある。そのためにも日常的な学習による知恵と知識の向上は、スタッフを業とするものの当然の行動である。ただ最近の流行り言葉や店,商品を知っていると言うのではなく、その裏側に隠される時代の趨勢を自分なりに読み解いた知見が求められる。
4.スタッフは、変化に積極的に関与する革新の実行者である。
昨日までに決められたルールに則って作業を進める・・・それはビジネス・スタッフの日常に良く見られること。スタッフのビジネスは、明日に向けた作業の道を組み立てて指し示すこと。新しい動きが常に求められる。新しい人との出会いは、自らの変革を確認する反射鏡にもなる。自分がどのように対応しているのかを見直す機会になるからである。人との出会いによって、自らの行動や環境を変革し得たかの見直しをすることは、スタッフがその影響波及力を測ることでもある。どれ程の関わりを持ち得たか,どれ程の興味を持たせ得たか・・・それは、自分自身の行動の結果の現れである。
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清野 裕司
着実な一歩一歩が未来を創り行くベストな道である。
1981年、ほぼ40年前のことになるが、私は、それまでの組織内スタッフとしての立場(サラリーマンでいること)を離れ、個人事業としてマーケティング・スタッフを主にした業務サービスを始め、2年後の1983年2月に株式会社マップスを設立した。
事業開始から、多くのプロジェクトを頂戴できたわけではない。ポツンポツンと、五月雨的な依頼であった。その間に心してきたことは、 Project Quality(業務&アウトプット品質)を高位に維持し、「企業の上に起つ企業」スタッフであることの志であった。
それは一朝一夕にできることではなく、日々の心がけの繰り返しによって実現するものと考えていた。その想いがことばになったのが、「一歩一歩」である。
自分自身の不勉強で承知をしていなかったが、昨年末に後藤静香(ごとう せいこう[※] )の以下の言葉を知った。 [※] 1884年8月17日 – 1971年5月15日。大分県出身の社会教育家、社会運動家。東京高等師範学校数学専修科を卒業後、大分高等 学校、香川女子師範学校で女子教育に従事する。
「第一歩」
十里の旅の第一歩/百里の旅の第一歩/同じ一歩でも覚悟がちがう/三笠山にのぼる第一歩/富士山にのぼる第一歩/同じ一歩でも覚悟がちがう/どこまで行くつもりか/どこまで登るつもりか/目標が/その日その日を支配する
仕事を通じてのキャリアアップは、日々の歴史を刻むにしたがって、プロジェクト品質への評価が内に外に厳しくなることを肝に銘じなければならない。過去よりも未来を見ていたい。かといって、時間は無尽蔵にあるわけではない。限られた時間でのベストをいかに出せるか。 自分のビジネスライフのモットーは「最善尽くして颯爽と」にある。
「自らが学ぶべき道」と「伝える力」は、自らの道を拓く時を準備してくれる。それは「自分力」を高めるための一歩一歩でもある。
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清野 裕司
「リスキリング」何を身につけるのか、活かすのか。
時折「リスキリング」なる言葉に接することがある。初めて聞いたときは、その意味がよく分からぬままにやり過ごしてしまった。早速Webで確認をする。
「リスキリングは、DXへの適応や新規事業の立ち上げなど、既存業務から新しい業務へ従業員を配置転換するために、スキルチェンジすることを目的としています。
新たな価値創造のための学びという意義が大きく、社内に必要なスキルを教えられる人材がいないケースもあるため、教育担当は外部の講師や有識者も想定されています」とあった。
21世紀になってより既に多くの時が積み重なり、コロナウィルスの影響も重なって世の中にはさまざまな変化が起きている。変化する状況に合わせて生きていくために、新たな思考力が求められている。過去のやり方や考え方を頑強に守ろうとするだけではなく、現実を直視して、変化適応型の柔軟な経営の仕組みをつくることである。そのための新たな学びを通じて、自分自身が身につけていなかったスキルを身につけようとする行為。大いに励んでもらいたい。
確かに、旧来のビジネス環境とは異なり、デジタル思考が当たり前に求められる時代である。だからと言って、自分自身のできることが、一朝一夕変わってしまうものでもない。新たに開かれた自らの術は何であったのか、そしてそれらは、どのような分野に活用できるのか?これも自問自答すべきことである。
何事にも「無用の用」という言葉が昔からある。今必要でない無用なものであったとしても、何となく役立っているものがある。今使っているのが便利だと思っていても、いざ使うとなると用をなさないこともある。
リスキリング:Reskilling、確かに響きはいい言葉だ。身につけたスキルは、何に役立てるつもりなのか。学問知を多く持った人よりも私は、その知を日常に生かす知恵を持ったスタッフの方が、圧倒的に好きだが。
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21世紀になって既に多くの時が積み重なり、コロナウィルスの影響も重なって世の中にはさまざまな変化が起きている。変化する状況に合わせて生きていくために、新たな思考力が求められている。過去のやり方や考え方を頑強に守ろうとするだけではなく、現実を直視して、変化適応型の柔軟な経営の仕組みをつくることである。
会社は生き物。生き物は自分が生きていく環境に合わせて生命を維持し進化する。変化にうまく乗り切れずに進化を止めてしまうと、進化を止めた島の名前を使った「ガラパゴス」である。自分の周りが変わっているのに、自分は変わらない。それでは時代に取り残された存在になってしまう。その時々に起きている変化が、いつの間にか社会の当たり前の風景になる時代と心得なければならない。
そのような変化に適応した経営を実践するためのガイドが「マーケティング」の考え方である。マーケティングは「Marketing」。分解すれば「市場(Market)=交換の場」の「現在進形(ing)=変化」に、交換の主体者として積極的に関わっていこうとする経営のことになる。
市場には息遣いがある。財や情報を提供し、受け容れて貰おうとする送り手(主に企業)の熱い息吹。多様なモノを取捨選択して自分らしいものを取り込もうとする受け手(お客さま)の熱い想い。その両者の出会う「場」こそが「市場」である。
その市場での交換のスタイルも変化してきている。動画も含めて、ビジュアル情報のやり取りが出来るメディアを使う風景が当たり前になり、自分の気持ちを伝える際に、自分の顔を見せれば、ある程度のことは読み取ってもらえることがある。「目は口ほどに物を言う」で、その瞬間の自分の気分は顔に出るもの。であるならば、感情のやり取りには画像の方がリアリティがある。「情報交換」の時代ではなく、「情動交感」の時代と見ることが出来よう。
モノのやり取りは「交換」。いまは、情報やサービスのやりとりと共に、感情もやり取りする「交感」。
そして、お互いの歓びを共有する「交歓」も重要になってきている。
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清野 裕司
長くビジネスの世界に身を置いていると、さまざまなタイプの人間に出逢う。タイプの違いとは、振る舞いの差でもある。年齢の差ではなく、キャリアの差でもなく、その人なりのこだわりの差によるものかもしれない。
決して技術のレベル差だけとは思えない。パソコンのキーボードをブラインドタッチで出来るからといって、その人から先鋭的なマーケティングの話が聞こえてくるわけではない。逆もある。パソコンはおろか、携帯・スマホを持ち歩かないにもかかわらず、ぜひまたあの人のマーケティング・センスに出逢いたいと思わせる人もいる。その差は何か。
マーケティング能力には、市場の動きなどに関する調査結果をいかに読み取るかの、操作的な技術が必要な場合がある。あるときは統計学的なアプローチであり、あるときは社会心理学的なアプローチである。しかし、いかに操作を学んでも、問題はその結果をどのように読み取り、解釈したかである。他人が気付かない、その人なりの感度や感性が問われる。小手先の技術では解決できない人間的な発想であったり感度の違いであったりする。伝統芸能の世界に通じるものがある。
落語家は多くの噺を覚え(創り)、自分なりの話法で芸を磨く。歌舞伎役者は立ち居振る舞いから、伝統的な形式美を自分なりのものへと仕上げていく。言葉だけでは語り継ぐことのできない「芸」の世界である。同じ噺を聞いても、笑えるものと、ちっとも面白みを感じないもの。同じ場面でありながら、演者によって感銘を受けたり、さっぱりと何も感じない舞台。「芸」の違いであろう。
ビジネスのスタイルにも芸風の違いがある。同じマーケティング・テーマでも、共感出来るものもあれば、理解に苦しむ解釈に出逢う時もある。その差は、伝えるべき人の人間性から醸し出される芸の差である。決して表層的に身についた技ではなく、底流にある本人のこだわりを持つ職業人としての「業」であろう。
「技」先行型のマーケティング・スタッフよりも、個人的な「芸」を見せるスタッフとの出逢いには、何がしかの気付きがあるものだ。私は終生一マーケティング・スタッフとして、自らの「芸風」を追い求める姿勢を貫いていきたい。
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