ビジネス徒然草43

「百均」の隆盛。「百貨」の衰退。生活環境や行動の変化実感の時。

2023年1月31日、渋谷の東急百貨店本店が55年の歴史に幕を閉じた。多くの人が昔を懐かしんで来店していた営業最終日のよく見かける風景であった。私も、高校生の頃より生活行動のアクセス拠点が渋谷であったので、駅ビルとしてあった東急東横店には何度か立ち寄ったものである。今回閉店の本店は、言ってみれば渋谷の街の突き当りになるようなところに立地しており、品揃えも比較的ハイクラスのものが多かったように思う。したがって、若者よりも中高年の方々が、ゆったりとした時間の中で買い物を楽しむ空間の印象が強かった。

渋谷には他に西武百貨店がある。元来が西武百貨店といえば池袋を拠点としており、その地で東武百貨店と鉄道系同士の激しい戦いが続いていた。西武が渋谷に。まさに「西部(西武)戦線異状あり」と、昔の本のタイトルを模してはやし立てられていたものである。思えば東急も鉄道系ではある。

東京に限らず、地方の百貨店でも閉店の案内を耳にするようになった。北海道帯広の「藤丸」、山形県で頑張ってきた「大沼」といった、その地における名店が閉鎖せざるを得ない環境に置かれている。昭和30年代には、「百華店」といわれるほど、憧れの存在であり、地域の文化発信の中心拠点でもあった百貨店が今、大きく変換せざるを得ない岐路に立っている。銀座にあった松坂屋も、今は「銀座シックス」として、過去の百貨店とは異なる業容を示している。

一方で、100円均一の商品が並ぶ「百均」のリーダー的存在でもある「ダイソー」が創業「50周年」を祝い活発な店舗展開を続けている。かつては、メインの買い物をサブとして支え、また時にものめずらしさの発見拠点でもあった「百均」が、ここにきて日常の生活用品が軒並み値上がりするなかでは、その存在感をますます増し、買い物行動の中核的存在にまでなってきている様子もうかがえる。

何とも皮肉な巡り合わせである。「百貨」に憧れていた時代。なかなか手にすることもないような高位なものを眺めながら、いつの日か自分もあのようなものを手にしたいと思わせた「百貨店」。そんなものよりも、合理的に効率よく暮らす道具を求めていた方がよいと感じさせる「百均」。

両者のバランスがとれていることが、健全な消費環境だと思うのだが、どうも最近は、そうとも言い切れないようだ。この国の豊かさとは何かと問うている。そのように感じる流通の変革である。

Management Partner Staff
清野 裕司

ビジネス徒然草

昭和男が感じる令和の巷で見る不思議。

昭和から平成・令和を経て早や30年以上の時が流れている。最近はよく、昭和の時代では当たり前であったことを取り上げ、不思議そうにコメントをするTV番組に出会うことがある。かつては「十年一昔」という表現もあったが、今や「五年一昔」かもしれない。してみれば昭和は大昔ということになってしまう。
今世間で当たり前と思われていることを、逆に昭和の感性から眺めてみれば、不思議と思うこともある。昭和に生まれ、ビジネスのスタートも昭和である私の目から見た今の不思議を綴ってみよう。

1.貴方の情報源はスマホが全てですか。
通勤電車で新聞(紙)を広げて読んでいるビジネスパーソンに出会うことが殆どなくなってきた。確かに新聞を広げられるとその空間は一人だけのものになり、周りの空間は狭くなる。一人ひとりがスマホで情報収集といった方が、空間的にも効率は良いであろうが、その分、情報検索の幅は狭くなってしまうのではないかと、余計なことを心配してしまう。

2.個人の意見をあまり言わないようですが。
会議の場で、参加メンバーに意見を求める。あまり闊達な返事が返ってこない。たまたま、そのメンバーの中の誰かが、どこかの本かインターネットで、誰かが言っていた意見を発信する。すると、その同調者や反論者が登場してくる。しかしそれは、ある意見に対する論評であって、自らの意思を表明したものではない。

3.自分のものは揃え、他人のものまでは気が回りませんか。
情報の共有をすることに対して、一人ひとりが独自のデバイスを活用しているようだ。であるがゆえに、他のメンバーが何に興味を持っているのかということには興味を示さない。狭い自分の空間の中だけで思考しているように感じてしまう。

4.群れていると安心するんですか。
大晦日から年始へのカウントダウン、サッカーワールドカップの集団的ブラボーの声/10月末のハロウィンでの集団・・・、どれもが映し出されているのは渋谷のスクランブル交差点。集まって騒いでいると安心するのかな。

5.表現の短縮に慣れすぎていませんか。
コスパやしゅうかつ、歴女や鉄女などなど、数えればきりがないが、なんでも短縮が当たり前のようだ。「差別性」という言葉も、もともとは「差別的競争優位性」である。短くすれば話は確かにしやすくなるのだが、本質からは外れてしまっているような印象がある。

思いつくままのものなので、もっと日常生活面からみれば不思議と思うことはたくさんあるのではないか。あまり深刻にならず、また折を見て注目すべきことを拾いあがてみよう。

Management Partner Staff
清野 裕司

ビジネス徒然草

ビジネススタッフが持つべき機能やスタイルを再考してみた。

多くのビジネス第一線で活躍するスタッフと会話をして、各人の問題意識を聞くにつけ、ビジネススタッフはどうあらねばならないかが見えてくる。幾つか気付いたことを整理してみた。

1.スタッフとは、自らがどのように見られているかをいつも気にするアクターである。
多くの初対面の方々は、そのスタッフが発進する情報の斬新さや深みを見聞きして、その知識,見識を測っている。単に発信される言葉だけではなく、仕草も勿論見られ、そこに漂うスタッフの教養が見透かされている。ある時は「育ち」「家庭環境」「世間的動きへの感応度」などまでが見破られていると知らなければならない。それだけ緊張感を要するのがスタッフの立場である。

2.スタッフは、過去の累積をベースに未来を描く仮説設計力をもつ。
蓄積された多くの資料、人的ネットワークのリスト、書籍があっても、それらは、過去の活動事実の累々とした積み重ねである。過去をいくら振り返っても、そこに未来が突然のように現出するわけではない。過去の流れの思考回路を、未来を描く基準点にすることこそが、スタッフに求められている視点である。データベースは整理することに意味があるのではない。次代へのフレームワークであり、その器に今後何を入れていくのかを考えることである。

3.スタッフは、「作業」の請負人ではない。「仕事」のコーチ役である。
決められたことを実施する作業ほど楽なことはない。時間が解決するからである。しかし「作業」はあくまでも作業であり、その対価の基準は時価であり人力価に過ぎない。スタッフの対価は本来、知価で測られるものある。そのためにも日常的な学習による知恵と知識の向上は、スタッフを業とするものの当然の行動である。ただ最近の流行り言葉や店,商品を知っていると言うのではなく、その裏側に隠される時代の趨勢を自分なりに読み解いた知見が求められる。

4.スタッフは、変化に積極的に関与する革新の実行者である。
昨日までに決められたルールに則って作業を進める・・・それはビジネス・スタッフの日常に良く見られること。スタッフのビジネスは、明日に向けた作業の道を組み立てて指し示すこと。新しい動きが常に求められる。新しい人との出会いは、自らの変革を確認する反射鏡にもなる。自分がどのように対応しているのかを見直す機会になるからである。人との出会いによって、自らの行動や環境を変革し得たかの見直しをすることは、スタッフがその影響波及力を測ることでもある。どれ程の関わりを持ち得たか,どれ程の興味を持たせ得たか・・・それは、自分自身の行動の結果の現れである。

Management Partner Staff
清野 裕司

ビジネス徒然草

着実な一歩一歩が未来を創り行くベストな道である

1981年、ほぼ40年前のことになるが、私は、それまでの組織内スタッフとしての立場(サラリーマンでいること)を離れ、個人事業としてマーケティング・スタッフを主にした業務サービスを始め、2年後の1983年2月に株式会社マップスを設立した。
事業開始から、多くのプロジェクトを頂戴できたわけではない。ポツンポツンと、五月雨的な依頼であった。その間に心してきたことは、 Project Quality(業務&アウトプット品質)を高位に維持し、「企業の上に起つ企業」スタッフであることの志であった。
それは一朝一夕にできることではなく、日々の心がけの繰り返しによって実現するものと考えていた。その想いがことばになったのが、「一歩一歩」である。

自分自身の不勉強で承知をしていなかったが、昨年末に後藤静香(ごとう せいこう[※] )の以下の言葉を知った。 [※] 1884年8月17日 – 1971年5月15日。大分県出身の社会教育家、社会運動家。東京高等師範学校数学専修科を卒業後、大分高等 学校、香川女子師範学校で女子教育に従事する。

「第一歩」
十里の旅の第一歩/百里の旅の第一歩/同じ一歩でも覚悟がちがう/三笠山にのぼる第一歩/富士山にのぼる第一歩/同じ一歩でも覚悟がちがう/どこまで行くつもりか/どこまで登るつもりか/目標が/その日その日を支配する

仕事を通じてのキャリアアップは、日々の歴史を刻むにしたがって、プロジェクト品質への評価が内に外に厳しくなることを肝に銘じなければならない。過去よりも未来を見ていたい。かといって、時間は無尽蔵にあるわけではない。限られた時間でのベストをいかに出せるか。 自分のビジネスライフのモットーは「最善尽くして颯爽と」にある。
「自らが学ぶべき道」と「伝える力」は、自らの道を拓く時を準備してくれる。それは「自分力」を高めるための一歩一歩でもある。

Management Partner Staff
清野 裕司

 

ビジネス徒然草

「リスキリング」何を身につけるのか、活かすのか。

時折「リスキリング」なる言葉に接することがある。初めて聞いたときは、その意味がよく分からぬままにやり過ごしてしまった。早速Webで確認をする。

「リスキリングは、DXへの適応や新規事業の立ち上げなど、既存業務から新しい業務へ従業員を配置転換するために、スキルチェンジすることを目的としています。
新たな価値創造のための学びという意義が大きく、社内に必要なスキルを教えられる人材がいないケースもあるため、教育担当は外部の講師や有識者も想定されています」とあった。

21世紀になってより既に多くの時が積み重なり、コロナウィルスの影響も重なって世の中にはさまざまな変化が起きている。変化する状況に合わせて生きていくために、新たな思考力が求められている。過去のやり方や考え方を頑強に守ろうとするだけではなく、現実を直視して、変化適応型の柔軟な経営の仕組みをつくることである。そのための新たな学びを通じて、自分自身が身につけていなかったスキルを身につけようとする行為。大いに励んでもらいたい。

MAPSーFOREVER

確かに、旧来のビジネス環境とは異なり、デジタル思考が当たり前に求められる時代である。だからと言って、自分自身のできることが、一朝一夕変わってしまうものでもない。新たに開かれた自らの術は何であったのか、そしてそれらは、どのような分野に活用できるのか?これも自問自答すべきことである。

何事にも「無用の用」という言葉が昔からある。今必要でない無用なものであったとしても、何となく役立っているものがある。今使っているのが便利だと思っていても、いざ使うとなると用をなさないこともある。

リスキリング:Reskilling、確かに響きはいい言葉だ。身につけたスキルは、何に役立てるつもりなのか。学問知を多く持った人よりも私は、その知を日常に生かす知恵を持ったスタッフの方が、圧倒的に好きだが。

Management Partner Staff
清野 裕司

投稿者:

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一刻一歩に最善を尽くそうと今もする。変わる鋭さと変わらぬ頑固さがある。 

 

ビジネス徒然草39

「こうかん」の考えも拡張し重層化するようだ。

21世紀になって既に多くの時が積み重なり、コロナウィルスの影響も重なって世の中にはさまざまな変化が起きている。変化する状況に合わせて生きていくために、新たな思考力が求められている。過去のやり方や考え方を頑強に守ろうとするだけではなく、現実を直視して、変化適応型の柔軟な経営の仕組みをつくることである。
会社は生き物。生き物は自分が生きていく環境に合わせて生命を維持し進化する。変化にうまく乗り切れずに進化を止めてしまうと、進化を止めた島の名前を使った「ガラパゴス」である。自分の周りが変わっているのに、自分は変わらない。それでは時代に取り残された存在になってしまう。その時々に起きている変化が、いつの間にか社会の当たり前の風景になる時代と心得なければならない。

そのような変化に適応した経営を実践するためのガイドが「マーケティング」の考え方である。マーケティングは「Marketing」。分解すれば「市場(Market)=交換の場」の「現在進形(ing)=変化」に、交換の主体者として積極的に関わっていこうとする経営のことになる。
市場には息遣いがある。財や情報を提供し、受け容れて貰おうとする送り手(主に企業)の熱い息吹。多様なモノを取捨選択して自分らしいものを取り込もうとする受け手(お客さま)の熱い想い。その両者の出会う「場」こそが「市場」である。
その市場での交換のスタイルも変化してきている。動画も含めて、ビジュアル情報のやり取りが出来るメディアを使う風景が当たり前になり、自分の気持ちを伝える際に、自分の顔を見せれば、ある程度のことは読み取ってもらえることがある。「目は口ほどに物を言う」で、その瞬間の自分の気分は顔に出るもの。であるならば、感情のやり取りには画像の方がリアリティがある。「情報交換」の時代ではなく、「情動交感」の時代と見ることが出来よう。
モノのやり取りは「交換」。いまは、情報やサービスのやりとりと共に、感情もやり取りする「交感」。
そして、お互いの歓びを共有する「交歓」も重要になってきている。

Management Partner Staff
       清野 裕司

ビジネス徒然草38

終生自らの「芸風」を追い求めていきたい。

長くビジネスの世界に身を置いていると、さまざまなタイプの人間に出逢う。タイプの違いとは、振る舞いの差でもある。年齢の差ではなく、キャリアの差でもなく、その人なりのこだわりの差によるものかもしれない。
決して技術のレベル差だけとは思えない。パソコンのキーボードをブラインドタッチで出来るからといって、その人から先鋭的なマーケティングの話が聞こえてくるわけではない。逆もある。パソコンはおろか、携帯・スマホを持ち歩かないにもかかわらず、ぜひまたあの人のマーケティング・センスに出逢いたいと思わせる人もいる。その差は何か。

マーケティング能力には、市場の動きなどに関する調査結果をいかに読み取るかの、操作的な技術が必要な場合がある。あるときは統計学的なアプローチであり、あるときは社会心理学的なアプローチである。しかし、いかに操作を学んでも、問題はその結果をどのように読み取り、解釈したかである。他人が気付かない、その人なりの感度や感性が問われる。小手先の技術では解決できない人間的な発想であったり感度の違いであったりする。伝統芸能の世界に通じるものがある。

落語家は多くの噺を覚え(創り)、自分なりの話法で芸を磨く。歌舞伎役者は立ち居振る舞いから、伝統的な形式美を自分なりのものへと仕上げていく。言葉だけでは語り継ぐことのできない「芸」の世界である。同じ噺を聞いても、笑えるものと、ちっとも面白みを感じないもの。同じ場面でありながら、演者によって感銘を受けたり、さっぱりと何も感じない舞台。「芸」の違いであろう。
ビジネスのスタイルにも芸風の違いがある。同じマーケティング・テーマでも、共感出来るものもあれば、理解に苦しむ解釈に出逢う時もある。その差は、伝えるべき人の人間性から醸し出される芸の差である。決して表層的に身についた技ではなく、底流にある本人のこだわりを持つ職業人としての「業」であろう。

「技」先行型のマーケティング・スタッフよりも、個人的な「芸」を見せるスタッフとの出逢いには、何がしかの気付きがあるものだ。私は終生一マーケティング・スタッフとして、自らの「芸風」を追い求める姿勢を貫いていきたい。

Management Partner Staff
清野 裕司

 

ビジネス徒然草37

ビジネス対応は、一人ひとりの「意・志・気」により変化する。

何かを成し遂げようとした時、人は不安に駆られることがある。今のままで良いのか、他にもっと良いやり方があるのではないか。確認する術を持たず、今までに自分が知り得たことを基本に、もう一度筋道立てて、自分のやろうとしていることを説明しようとする。
そこに働く力としては、ある時は累積された個人的な知識がものを言うこともある。
しかし一方で、知識だけでは解決できないことがある。知識を活かすのは、本人の「意」であり「志」、そして「気」である。

「意」の一言

蓄積してきた知識だけでは、今起きている現象を説明することが出来ず、あの時に、もっと学んでおけば良かったと反省することもある。後の祭りである。そのような時に大いに発揮されるのが、本人の意識である。過去は問題ではない。今起きている現実にどのように対処しようとするのかの、自分自身の意欲や対応の姿勢を問われているのだと、はっと気づく。すると、それまでに思いもつかなかった方法が浮かんでくることがある。誰かに習った方法ではない。自分自身が編み出した道筋である。

理屈だけでは解決できないことが多く登場してくるのが、ビジネスの現場である。このような施策を展開すれば、顧客は間違いなく動いてくれるはずだと思うのだが、その通りの結果が生まれてこない。予期せぬことだらけである。そのような時には、過去に学んだことの、何とも脆弱なことかを思い知らされる。

単なる表層的な「知っている事実」よりも、心底思い込んだ「まだ見ぬ未来」を実現しようとする意識が、どれ程の力になるかを知るときである。マーケティングが、「学」として存在するのではなく「論」として存在するのも、そこに意味がある。体系的な枠組みを知ることだけが学問ではない。自分自身が実行する「未来への道案内」である。「意のあるところ道は拓ける」そして、「知はその道を飾る」と解釈したい。 

「志」の一考

ビジネスでは、一人ひとりそれぞれの心の中にあるものに大いに期待したい。未来に向けて描いているであろう自分自身の姿である。いつも、自らの心が、どちらの方向を向いているのかを確認したい。

心が指す。まさに「こころざし=志」である。何となく茫洋とした意志かもしれない。若者の間では「自分探し」という言葉も聞く。自分が何に向いているのか分からないので、固有の職を持つことなく、自分の可能性を探すと言う。しかし、考えをいくら巡らせたところで、自分自身の実体が浮かんでくるとは思えない。先ずはやってみることではないのか。

好きなことを一生続けられると幸せ、との言も聞く。しかし、志は決して好きなことばかりを迎え入れてはくれない。嫌なこともある。意に沿わないこともある。ただ、嫌だと思ったことも、次なる自分を生み出す術と心得た時に、嫌なことではなくなる。自分の心と会話をしたかどうかが問われる。

「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな」と昔から言われる。心が指し示す方向を持った自分との出会い。心してその時を大切にしたい。

 「気」の一文

ビジネス環境では、気遣いも多いことだろう。気疲れから、気温には関係なく風邪をひくケースもある。ただ、ビジネスは人と人との関係によって成り立つ。それだけに気配りも必要である。どのような人に対しても、自らの気概を見せながら気後れせずに立ち向かって欲しい。余り気負うと運気が落ち気味の時には気落ちしてしまうことになる。

気兼ねをしなければならない場もある。気軽に話し掛けてくれる人もいるだろう。気障(きざ)な人もいる。ただ、ものは考えよう。気持ちをしっかりさせていれば、気合が入るもの。たまには気晴らしに気の会う仲間との酒席も良い。和気あいあいとした中で気勢をあげることだろう。そのときの空気を読み込みながら、気宇壮大な未来を描いて欲しい。酒気を帯びていても気品ある態度は、気分を盛り上げるものだ。

「気」は人の精神が外に出る様子をいう。景気の良い話が聞こえてこないビジネス環境ではあるが、元気な振る舞いは、気骨を感じさせるものだ。根気よく意気を感じさせる日々を送りたい。若気の至りと言えぬ歳を重ねた今、改めて「気」を高めて気づきの一文。

Management Partner Staff
清野 裕司

ビジネス徒然草36

「やさしく」伝えること。それが「むずかしい」。

私の大好きな小説家(劇作家・放送作家)の一人である井上ひさし氏が遺した言葉は数多くあるが、なかでも日常の仕事を通じて、われわれマーケティング・ビジネスに携わる者が心しなければならないのが、次の言葉だと思う。
 PDF:井上ひさし氏の言葉
その文脈から、まさに「むずかしいことをやさしく」伝え、かつ諭してくれていると思っている。そのような思考の中、他人に何かを伝えて記憶して貰う場合、3つにまとめて発信すると強く情報が刷り込まれていくように感じる。

旧来よりビジネスの世界でも「現場・現物・現実の3ゲン主義」とか「報連相」の重要性、生活家電「3種の神器」「昭和40年頃の3C:Car/Cooler/ColorTV」と3でまとめられたものが多くある。私も講義・講演の際、記憶にとどめて貰おうと3つにまとめて伝えることがある。

「マーケティングは「視点・視野・視座」の3つの眼が不可欠である」「市場には「交流・交換・交感」の3つの交わりがある」「変化を見る眼には「解析・解釈・解説」が必要である」「人の人生には「生命・運命・使命」の3つの命が働いている」・・・等々。御三家・三羽がらす・日本三景・三筆/三蹟と、日常生活の中にも多く「3」は登場してくる。そう言えば東京タワーの高さは333mであった。

かといって、何でも「3」にまとめることがやさしい伝え方に通じるわけでもない。この2年強、よく耳にする「三密」。さて、その「密」は何であったか、ふと思い出せないこともある(密閉・密集・密接だが)。

大切なことは、繰り返し、かつ表現を変えるなど、やり方も多岐に考える必要があると思っている。

Management Partner Staff
清野裕司

 

ビジネス徒然草-35

「講師」としての振る舞いは個人的な「芸」にも感じる。

複数の方々の講演が続いている、あるテーマについての研究会や情報発信の会で、時折、自分に与えられて持ち時間をオーバーして話しされる方がいる。2~3分ほどの延長であれば、ただその本人のちょっとしたタイムキーピングのミスとも考えられる。しかし、そうではないケースに出会うことがある。明らかに確信犯である。当初予定を、10分、15分と延長している。次に控える講演者の顔にも苛立ちの気が漂う。受講している方々も、何となく落ち着きがなくなってくる。

ほぼ20分ほど予定をオーバーして話し終え、おもむろに一言「これ以上聞きたい方は、『私の著書』をお読み下さい」と。自分の次の演者を簡潔に紹介して終わる。次の方が演台の前に立つまでの休憩時間は、当然短縮される。外部との連絡時間が取れなくなってしまう。今は減ったであろうが、喫煙者には辛い、休憩時間の短縮である。

そのような機会に同席をする際に私が思うことは「今日の講演者は素人だな」ということ。
プロを標榜するのであれば、その話の内容よりも、細やかな振る舞いに目が行ってしまう。聞いている側も、限られた時間のなかで、難しい理論の解説を聴こうとは思っていないであろうし、一つ二つ、日常の会話の中で自分でも使いやすい言葉やキーフレーズが大きなお土産になるのではないだろうか。

セミナーや講演会のテーマも、時々で注目されるものは異なる。流行物のようなものである。「ポストコロナの社会を読む」「ITを生かした経営」「DXの活かし方。その事例」「2025年の東京を夢想する」・・・といったようなことが、2022年の中心的なテーマであろうか。
そもそも私は、講演や研修会の講師の立場は、落語家や芸人の演じることと同質だと思っている。落語の聞き手からすれば、一つ一つの話の大まかなストーリーは、たとえ知っていたとしても、すべてを知っているわけではない。同じ話を違う落語家から聞くと、全く違う話を聞いているような錯覚に陥ることがある。

今までに自分自身が講義や講演を通して、講師を担当する際に強く意識していることを10のポイントに整理をしている。以前も掲出したことはあるのだが、改めて「ビジネス徒然草」で取り上げてみた。

講師十訓

Management Partner Staff
清野 裕司

 

ビジネス徒然草-34

「マーケティング頭」を鍛えるのは、スキルではなく「センス」である。

徒然草33に、思考のフレームワークを紹介した。同質的なものではあるが、思考のための別のフレームワークを掲出しておこう。
企画編集基本の3スタイル

そして合わせての案内になるが、今後は別のカテゴリーをつくり(予定では「風の書庫」とするつもり)、思考を描くためのフレームワークにとどまらず、市場分析の成果や企画提案書も掲出していきたい。

自分の想いとしては、ただ昔を振り返るのではなく、今に活かせるものを考え続けていたい。「学ぶ」は「真似ぶ」を語源とするという。他者(社)のものを真似してみることによって、自らの思考の幅も広がるというもの。
思考する・発想する・企画をする・・・・等々は、整えて纏めるためのスキルはあるかもしれないが、多くは個々人のセンスに依拠すると考えている。センス、つまりは感覚である。絵画を見て感じること。音楽を聴いて思うこと。人それぞれである。
ただ、瞬間的な想いは、書いたり、描いたりしておかなければ忘却の原野に置き去りにしてしまうことになる。

水野学氏が著した書に「センスは知識からはじまる」がある。マーケティングを、単に分析のための方法論としてのみ捉えてしまうと、ある特定分野の技法に磨きをかけるスキルアップに終始してしまう恐れがある。
マーケティング力の基本は「センス」であり、そのためには幅広い知識が必要である。マーケティング力とは、「限りなく際限ない雑学」を身に付けることでもある、と私は考えている。


Management Partner Staff

清野 裕司

 

ビジネス徒然草-33

「思考」を整理し気づき力を高めるテンプレートを持っていたい。

思えば多くのプロジェクトに参画する機会を頂戴してきた。その数を数えたところでさしたる意味をなさないが、ほぼ3,500位のプロジェクト数であったかと思う。分野も当然だが多岐にわたることになる。今でいえば、BtoB/BtoCという分け方になるのだろうが、かつては生産財・消費財のメーカー/商社/小売といった分け方で見ていたこともあった。
基礎的な研究分野への参画機会は殆どないものの、研究すべきテーマの設定や研究の成果が現れたのちに、どのように商品・サービス化を進めるべきかについてのプロジェクト参画も多くあった。
内容はもちろん異なるのだが、私のようなマーケティング・スタッフに求められることは、プロジェクト・ミーティングの内容を整理して、
メンバー間での共有をサポートする。あるテーマについて文献等で詳細情報をさらに収集分析する(往時はネットでの検索などの手段はなかった)。そして今後やるべきこと、解決すべきことを整理し、未来に向けた企画書に取りまとめること。

そのために必要なことは、自らの思考を整理するフレームワークを持っておくことである。企画書に取りまとめる時も、何をどのように書く(描く)べきかを、まずは自分の頭で整理しておかなければならない。
今までに多くのフレームワーク(枠)を描いてきた。その一部を順次ローンチしていこうと思う。使えるようであれば、自由に活用頂きたい。

企画書テンプレート

Management Partner Staff
清野 裕司

 

ビジネス徒然草-32

「慮る」心を持ち続けてMy Businessを終えたい。

30歳代の半ばにオフィスを立ち上げ、固定的な自分のワークスペースを確保しながら、いかにして継続的な仕事が得られるのかを考え続けてきた。

以来40年の時を刻み、今や70歳代の半ば。多くの時を刻んできたものと改めて感慨にふけることもある。1年前に、固定的な自分の城ともいうべきオフィスを出ざるを得なくなってしまった。外的な環境のせいにするのはいかにも逃げ口上に思えて、今まで口外することを控えてきた。しかし、延べ3年にわたるコロナの経済活動に対して与えたインパクトは並みのものではなかった。

ちょうど自分自身のBusiness Lifeの幕を下ろす頃とタイミングが一緒になってしまったが、私のビジネスは、直接目の前に対象者がいることを前提にしたビジネスモデルである。その基本が出来なくなってしまったのだから、閉幕もやむなしかと言い聞かせながら、今までとは全く異なる「コワーキングスペース」の利用会員となって、現在はゆるりとした気分で仕事をしている。

専門性を持ったビジネススタッフを集団化しようと開設した株式会社マップス。明快な形にはならなかったものの決算40期での閉鎖。長きにわたる時間を過ごしてきた。今もなお、マーケティング・ビジネスの世界に身を置くことができていることを幸せに思いつつ、自分の周りのスタッフの言動を見ている。

そこには時代の変化だけではない、「自己中心社会」に生まれ育ったかと思わせる輩に日々出会っている。周りを見ることをしない。他者に対する当然の態度なのか、挨拶らしき姿勢が見られない。会話の声が大きくノイズになる。PC越しの会議の折も同様である。周りに思考している人がいようがお構いなしである。
このような社会環境は、いつから形成され始めたのであろうか。少なくとも、自分自身が育ってきた昭和のビジネスモデルでは、常に周りを意識した「自分」がいたように思える。おどおどと自らを引いてしまうようなことではなく、あくまでも自分を中心にする考えには違いはない。しかしそこに、自分を取り巻く周りがいた。いや、あった。

どうも今の時代のビジネススタイルに周りを思い遣る心が乏しいように感じてしまう。「慮る」という漢字自体を読むことができるのだろうか。いま、私の近くで大声を出しいるあなたには。

Management Partner Staff
清野 裕司

 

ビジネス徒然草-31

眼光鋭く意志を感じる人に出逢いたい。

女性との関係をスキャンダラスに言われる老政治家先生。長期にわたってトップの座にいたにもかかわらず、今の時代に蘇って、アドヴァイスならぬ私論を押し付けている元トップの政治家先生。パパ活動が盛んな、個人評価を得ていない、日本では比較的若い政治家先生。受けを狙って発した言葉が、ギャグにもならず、爺さんギャグとも言えず、聞かぬふりの方がよかったと思わせる、元国家の金庫番大臣だった大物政治家大先生。我が国有事の時に、どのような対応をしてくれるのかと不安だけを漂わせている防衛関係のトップの大臣先生。
どれもこれも、一旦は消えて貰った方がよいのではないかと思っている人々である。そこに、明快な意志も未来志向の眼光も感じさせることがない。

ただひたすらに、人の書いた原稿を間違いなく読み続けることこそは重要な自分の任務であり、自分の言葉での発信などは考えられない、内閣官房の先生。私は、先生の顔を正面から見たことがありません。見えてくるのはいつも先生のメガネの枠だけです。
政治家という職業は、それほどに偉い職業なのだろうか。顔はもちろん、名前すら知らぬ人に、自分は投票する勇気は持たない。その人の人となりを知りたい。
その心に滾るものは、目に出るような気がする。態度にも日々のふるまいにも出てくるものである。年の差もジェンダーの差もない。未来を見据えた人に出逢って、共に未来を思い描いていきたい。


70代の自分が期待するのは「40~50代」の未来への目を感じさせる輩である。今のところ、一人として出逢ったことがない。悲しい。

       Management Partner Staff
              清野 裕司

ビジネス徒然草-30

言葉を紡いで人に伝えるためにも「源流」を辿る。

私にマーケティング・マインドを注入して下さり、その面白さや難しさを教えて下さった恩師は、慶応義塾大学名誉教授の故村田昭治先生である。自分にとって、人生最大の出会いとご縁を頂いたと、今も強く思っている。
先生のすばらしさは枚挙にいとまないと思えるが、中でも人に伝える(教える)際の言葉遣いの大切さを教えて下さったことかと思う。それまでに聞いたこともないような単語が、マーケティングを学び初めのころには数多く飛び出してくる。その定義を知りたければ(スマホもない時代)、文献を読みこんで自分のレベルを承知することである。併せて、日々の振る舞いや小さな心がけを積み重ねることで、他人への注目も増し、世の中の変化に敏感にもなるものだ。

先生が学生の私に伝え諭し導いて下さった文字を自分なりに解釈して、その後の半世紀近い社会人生活を送っているように感じている。
遺して下さった文字の数々の、ほんの一部を紹介しよう。

「志」:将来に向けて自らの心が指しているのが「こころざし」。自分は常に近い将来何をやりたいかを考えて行動しろ。
「想」:「思う」のは自分の脳を示したに過ぎない。考えて思うという行為は、高い木に登って目を未来に向けることだ。
「拓」:仕事には「こなす」と「ひらく」の二つのタイプがある。「こなす」は「熟す」という字になる。何事も継続することだ。だが、それだけではない。新たなものに挑戦しろ。それが「拓く」だ。
「雑」:今は無用と思えるものにも積極的に挑戦しろ。雑用や雑役と言われるものに、仕事の本質が隠れている場合が多い。どんなことにも積極的に取り組め。
「挑」:何事もまずやってみることだ。そうすると、自分のできないことが良く見えてくる。やりもせずに、とやかく評論して結論付けることはよせ。
「慮」:常に相手のことに思いを寄せるようにしろ。「おもんぱかる」という言葉がある。自分一人の考えを押し付けるのではなく、他者の意見も聞き入れることだ。
「優」:本当のやさしさを身に着けろ。「やさしい」というのは、自分に対しては「厳しい」ことを意味している。常に自分のレベルを高めることを考えろ。

ごく一部のものに過ぎないが、20代の自分が大きな刺激を受けた文字のいくつか。今も、往時私に言われた先生の言葉遣いが聞こえてくる。

Management Partner Staff
清野 裕司

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